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マスターのブログ Blog(雑感)

松江の「ラムネMILK堂」さんを知っていますか?

 

松江ラムネmilk堂

 

皆さま、こんにちは。さかな工房のマスターです。本当は誰にも教えたくないので、

 

ブログに書こうか三時間ほど迷いましたが、期間限定でブログにアップする事に致しました。

松江市の矢田簡易郵便局の近くに、めちゃくちゃ美味しいジェラート屋さんがあります。

 

「ラムネMILK堂」さんというお店です。

 

アイスの種類が変わっていて、藻塩や酒粕が入ったミルクジェラートや、

 

創業150年のお茶屋さんのお茶を使ったアイス、飯南町産のフルーツをたっぷり使ったジェラートなど、

 

どれを食べて良いか迷ってしまい、ショーケースの前で1時間考え込んでしまう人が続出しております。

 

ちなみにマスターは、藻塩ミルクジェラートとリッチミルクジェラートのダブルを、ワッフルコーンにのせてもらいました。

 

アイスを手渡しされて、あまりに早くかぶりついてしまったので、写メを撮ることを忘れてしまいました。すいません。特派員失格ですね。

 

店内でゆったりとアイスを食べれて、女神のような優しい女性スタッフさんが色々こだわりを解説して下さいますよ。

 

定休日が月曜日なので、マスターは第一火曜日に出没すると思います。

 

第一火曜日に怪しいオジサンが、目を細めながらアイスを食べていたら、「嫁!」と声をかけてみて、おどおどしだしたらそれは間違いなくマスターです。(決して何も与えないでください 嫁より。)よろしくお願い致します。

 

 

10年ぶりの八重垣神社

 

松江八重垣神社

 

先日、久しぶりに妻と休みの日が重なったので、二人揃って松江市の八重垣神社に参拝致しました。

 

八重垣神社は縁結びの神さまであり、松江では超有名な神社であります。日本で初めて結婚式が行われた場所であります。

 

八重垣神社はマスターが10年前に結婚式を挙げた神社でありますが、当時、神社の控え室で妻にキレられ、危うく八重垣離婚になるところでした。

 

10年前は可愛かった妻も怒ると現在では、ヤクザ映画の松方弘樹や高倉健さんみたいに、キレかたに凄みが増してきました。

 

妻には結婚10年目は「スイートテンが欲しい」と、砂糖10キロを要求されていましたが、代わりに10年着れそうな地味な服をプレゼントしてあげました。

 

妻がなぜ結婚式の日にキレたのか?答えが知りたい方は、

 

さかな工房で3千円くらい飲食されるとお答え致しますので、気になって夜も寝れない方は、ご来店をお待ち申し上げております。

 

 

 

 

 

境港市民交流センター「みなとテラス」が7/10オープン致しました

境港 みなとテラス

境港市の古い市民会館がリニューアルし、境港市民交流センター「みなとテラス」としてオープン致しました。境港市民の皆さま、おめでとうございます。

 

みなとテラスは「市民交流センター」「市民図書館」「防災」の3つの機能を併せ持つ複合施設です。

 

館内には約800席の中ホールがあり、7/10のこけらおとしには、航空自衛隊の音楽隊によるオーケストラ演奏会がありました。

 

 

現在は自衛隊の音楽隊でありますが、

 

昔は陸軍と海軍に軍楽隊があり、専門の学校で音楽教育が行われていました。1人が2つ以上の楽器を使いこなすのは必須であり、技能優秀な者は音楽大学へ学ぶことが出来ました。

 

昔、本で読んだ日中戦争の時のエピソードにこのようなものがありました。

 

ある時、日本軍と中国の国民党軍が谷を挟んでにらみ合っていました。偶然、そこへ日本陸軍軍楽隊が慰問演奏にやって来ました。

 

日本軍の隊長は、「素晴らしい演奏を我々だけで聴くのはもったいない」と、国民党軍に使者を送り、「一緒に演奏を聴くか?」と問い合わせました。

 

すると、「そんな素晴らしい演奏なら是非聴かせてほしい」という事になり、

 

谷の真ん中に軍楽隊、それぞれ反対側の斜面に両軍が座り、軍楽隊を挟んでつかの間の演奏会になりました。

 

演奏会が終わり、日本軍が陣地に帰ると国民党軍から「素晴らしい演奏だった。感動した。ありがとう」と連絡があったそうです。

 

昔の戦争には武士道のようなものがあったのですね。

話がそれてしまいましたが、境港にまた一つ市民の財産が出来て嬉しく思いました。

 

 

 

 

 

 

 

安倍晋三元総理の御冥福を心よりお祈り致しております

 

先日、奈良県で選挙の遊説中に銃撃され、急逝なさった安倍元総理に心より哀悼の意を捧げたいと思います。

 

安倍元総理がアベノミクスでデフレを脱却させていなかったら、日本経済は更にコロナでダメになっていたでしょう。

 

マスターは政治のことは詳しくないので、あまりよくわからないのですが、

 

日本では新聞やテレビの報道により、安倍政権の功績は過小評価されていると思います。しかし、ネットの情報をみると、まるで正反対の事が書いてあり驚きます。

 

 

新聞とネットの情報の違いについては、

 

例えば、新聞記事には「1年間の予算が100兆円を突破!」と書いてありますが、

 

財務省のホームページを見ると、一般会計100兆円と特別会計200兆円を合わせて、合計300兆円と書いてあり、日本の国家予算は年間300兆円だとわかります。

 

そして国の借金が1000兆円突破と報道されますが、なぜか資産や預貯金、日銀の資産など、国の財産は報道されません。

 

 

ネットの情報を見ている若い人たちは、安倍総理や菅政権が国民のために尽力なさったのを知っているので、安倍総理の最期のお見送りには、沢山の若い人たちが沿道に立ち、別れを惜しみました。

 

 

安倍晋三元総理、今まで日本のためにご尽力頂き有難うございました。安らかにお眠りください。

 

 

沖縄県民なら知っている ハワイの豚のお話

 

沖縄は太平洋戦争で壊滅的な被害を受け、生き残った沖縄県民は食べるものも無く、荒れ果てた田畑を少しずつ開墾し飢えを凌いでいました。

 

そんな惨状を、沖縄移民の子であり、アメリカ2世部隊の兵隊として、ハワイから沖縄戦に従軍していた比嘉太郎は、ハワイに還り沖縄移民の仲間に、沖縄の悲惨さを報告しました。

 

「島には人影がなく、豚小屋の豚は全滅」

 

その報告はハワイの沖縄移民、ウチナーンチュの心を揺さぶりました。

 

豚は沖縄にとって貴重な食糧になると共に、その糞尿は畑の肥やしになり、畑が肥えて作物もたくさん育ち、野菜が食卓に帰ってきます。

 

沖縄県民なら誰でも、沖縄にとって「豚」は無くではならないものだと知っているからです。

「今こそ、故郷の沖縄を助けよう!」

 

沖縄移民たちは、自分たちも貧しい暮らしをしている中、ふるさとの沖縄を救いたい一心で募金を集め、550頭の豚を買い、

 

1948年8月31日、7人の移民がオーウェン号に乗り込み、550頭の豚と共に沖縄へと出港しました。

オーウェン号の豚

 

 

太平洋戦争が終わったばかりの海はたくさんの機雷があり、触れただけで爆発、沈没してしまいます。

 

途中、暴風雨に遭いながらも、危険な航海を28日間続け、やっとの思いで9月28日に沖縄にたどり着いたのでした。

 

沖縄に届けられた550頭の豚は広く公平に分配され、生き残っていた豚と合わせ、4年後には10万頭近くに増えました。

 

そして沖縄の養豚業を復活させ、食糧を増やし、田畑を肥やす事に貢献しました。

 

今もこうして沖縄の豚肉の食文化が継承し発展したのは、この時のハワイからの豚のおかげであります。

 

私たちもハワイに移民なさった日本人のみなさんを誇りに思い、海外にいらっしゃる日本人が困っていたら、私たちも日本から助けたいと思います。

今日もブログを読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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