米沢市

 

鷹山は儒学者の細井平洲(ほそい  へいしゅう)に師事し、平洲をたいそう尊敬しておりましたので、平洲の実学をもって米沢を良くしたいと考えていました。
            平洲は「民の幸せのために藩主はある。民は藩の持ち物ではない。藩主は民の父母である」と説きました。
                江戸から平洲を米沢藩に招いた時には、1里半も迎えに出て、平洲の到着を待ちました。平洲が到着し歩き出すと、平洲の後ろを歩き、石につまずかないか注意して、決して前に出ることはありませんでした。
               殿様が城を出てお客さんを迎えに行くなど、当時の身分制度では考えられない行為であり、身分を超えた師弟愛として江戸中に知れ渡りました。
               とある田舎の田園地帯での出来事でありますが、
              ある日、老婆が稲刈りをしていると雨が降りそうになったので、稲穂が濡れる前に急いで取り込もうとしていました。そこへ2人のお侍さんが通りかかり手伝ってくれました。
                2人のお侍さんに対して、手伝いのお礼にお餅を持って行くので、どこに行けばよいか老婆が尋ねました。
  お侍さんは「業者が出入りする通用門に来てください」と言うので、後日、言われた通り通用門に餅を持って行きました。
すると、そこで待っていたのは藩主である上杉鷹山その人でありました。
               老婆は手伝ってくれたのが殿様だと知り、腰を抜かして驚きました。
鷹山は老婆が働き者である事に感謝し、銀5枚を褒美に渡し、餅を受け取りました。
             お侍さん、百姓、町人が一生懸命に働き米沢藩の財政が良くなってくると、人々の心に余裕ができ「人を信じウソをつかない」気風が広がっていきました。
その米沢の気風が有名になった一つに「棒くいの商い」というものがあります。
               米沢では道の端に棒くいが何本も立ててあり、くいの先からヒモで吊るしたカゴがあり、その中には、おにぎり、わらじ、野菜などが入れてあります。商品を買った人はお金をカゴの中に入れておくのです。現在でも田舎に行くとポツンとある無人市場の原形であります。
             格言・・・受け継ぎて   国のつかさの身となれば   忘るまじきは  民の父母