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朝の通学路当番

 

信号機

昨日の朝、小学校のPTAにより割り振られた、通学路の交通安全の立番に行って参りました。

 

その役目はというと、朝の信号機の前に立ち、道行く通勤の車に態度と視線で目に見えない圧力をかけるのです。

 

出勤途中の車たちは小学生が渡る時、信号機が赤になり停車させられ、通勤に遅れるのが嫌なので、小学生が信号機に到達する前に加速して通過していきます。

 

その車たちに向かって朝から無言の圧力をかけていきます。

 

でも昨日は、近所の人と一緒に担当していたので、つい世間話が盛り上がってしまい、我が子が来た時に気が付きませんでした。

 

しかしよく考えてみると、マスターも通勤途中に信号機の前では、小学生が来ないよう願いながら加速しておりました。小学生のみなさん、すいません。以後気をつけます。

 

立場が変わると、今まで見えなかったものが見えてくるのですね。それではドライバーの皆様、歩行者優先で運転をお願い致します。

 

 

 

 

5/15 は沖縄本土復帰の50周年であります

 

今年は沖縄県が日本に復帰して50周年にあたります。沖縄県民の皆さま、沖縄県の祖国復帰50周年おめでとうございます。

 

現在、沖縄県には沢山の米軍基地があり、基地の隙間に沖縄県民が住んでいると言っても過言ではありません。

 

ある時、車で沖縄の道路を走っていると、アメリカ軍のMPの車両がサイレンを鳴らしながら赤色灯をチカチカさせ、信号無視をして走り去って行きました。昔はこんなジープに轢かれた沖縄県民もいたかもしれません。

 

それを見た時、「ああ、まだ沖縄は完全に日本になりきっていないのだなぁ」と悲しい気持ちになりました。

 

もし境港市で、アメリカ軍のジープがサイレンを鳴らしながら信号無視をして走ったら、境港市民は黙っていないと思います。

 

平成7年に日米により設置されたSACO合意が早く履行され、沖縄県に少しでも基地負担が減りますよう心よりお祈り致しております。

(資料は防衛省ホームページより。基地負担軽減SACO合意の最終目標)

SACO合意

沖縄産業の礎を築いた公務員 儀間真常(1577〜1644)

 

今日はみなさんが知らない沖縄の偉人についてお話しさせて頂きます。

 

沖縄県は以前、琉球王国が450年続いておりました。

 

その琉球王国時代、日本がまだ戦国時代の頃、琉球に「儀間真常 ぎましんじょう」という下級役人がいました。

 

1596年、真常が39才の時、仕事で明(みん 現在の中国)に派遣された時、現地で作物の生産増加の技術や発育状況を見て、琉球との違いに衝撃を受けました。

 

そして真常は、琉球でも農業や産業振興の必要性を痛感し、上司の野口総管が明より持ち帰った「蕃薯 はんしょ (さつまいも)」を地元に持ち帰り、苦心して栽培に成功しました。

 

それは「挿芽法」という方法で、現在でも広く使われている方法であります。

 

その他にも、薩摩から持ち帰った綿の種子を栽培する事に成功し、綿花栽培を奨励して「琉球がすり」を産業化しました。

 

そして、サトウキビの生産を増加させ、明より精糖技術を学び、黒糖産業を全土に広げることにより、琉球王国に莫大な利益を産み出すことになりました。

 

このように儀間真常のおかげで、サツマイモは琉球から鹿児島に渡り、日本全国に広がることになりました。

 

江戸時代には享保、天明、天保の大飢饉がありましたが、サツマイモを栽培していた地域では、餓死者は出なかったと言われています。結果的に儀間真常は沢山の日本人の命を救ったのであります。

 

 

五十肩は四十肩ではない

 

今朝起きると、何だか肩が重く、起き上がって靴下を履こうとしたら、肩に激痛が走りました。

 

初めは「また浮遊霊に取り憑かれたかな?」と思い、除霊のための塩を用意しようと思いましたが、どうやら右肩と右首の方だけに痛さが残ります。

 

 

よくわからないけど、「寝違えたかもしれない」と思い、「イチ、二、サン」と数えながら腕をぐるぐる回し、

 

 

柔軟体操をしながら腕を回していましたが、50回くらい回したところで痛くて回せなくなりました。

 

という事は、

 

たぶんそうです、50回くらいしか回せなかったということは「五十肩」に違いありません。

 

これが噂に聞いた五十肩なのであります。マスターが生まれて約半世紀。人類が二足歩行を始めてから必ずといっていいほど経験するという「ギックリ腰と五十肩」。

 

まさに人類の進化の過程を体感した瞬間でした。

 

という訳で、今日は湿布を貼って寝ることにします。

 

 

 

みんな大好きエース堂

 

先日、子供と境港の水木しげるロードの端にあるプラモ屋さんの「エース堂」に行ってきました。

 

エース堂の一番上の棚に飾ってある飛行機「青嵐」が半年前から欲しくて、ヘソクリを握りしめ意気揚々と向かったのであります。

 

しかし残念ながら売り切れており、「このようなマニアックな飛行機を買う人がいるんだ」と悔しく思いました。

 

一緒に行った子供は、軍艦のプラモや戦車のプラモを見ていたので、「この軍艦は武勲艦だよ」とか、「この塗装はアフリカ戦線のカラーリングだよ」とか教えてあげて、楽しいひと時を過ごしました。

 

結局、子供はマブチの水中モーターを選びましたが、

 

レジで支払いをする時、エース堂のお婆さんが子供に「お父さんと色々お話しができていいねー」と声をかけて下さいました。

 

人生の先輩方にお聞きすると、子供が小学生を過ぎると、親と行動をともにしないらしいですので、今のうちに子供と思い出作りをしたいと思います。

 

皆様が子供の頃、今でも記憶に残るご両親との思い出は何でしょうか?その思い出こそが、ご両親に愛されていた証なのだと思います。思い起こせば親の恩は様々な場面で感じられると思うのです。

 

今日もマスターのつたないブログを読んで頂き、ありがとうございました。

 

(写真はアメリカのスミソニアン博物館に展示してある青嵐。アメリカでは青嵐を最大限の賛辞をもって展示してあります。)

青嵐 せいらん

 

 

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