大西洋でタイタニック号の沈没船を見る深海ツアーの潜水艇が事故に遭い、5人の命が失われました。誠に大変な事だと思います。

 

このニュースを聞いて、マスターは明治43年4月に山口県沖で起きた「第6号潜水艇事故」の事を思い出しました。

 

西暦1910年、タイタニック号が沈む2年前、艇長「佐久間つとむ」は、第6号潜水艇で14人の部下と訓練に励んでいました。

 

この第6号潜水艇は、日本で開発されて間もない頃の、まだ実験段階ともいえる潜水艇でした。

 

ある日、訓練で沖に出てしばらくすると、潜水艇が故障し海底に沈んでしまい、全員が亡くなりました。

 

事故後、潜水艇が海から引き揚げられ、艇内を調べてみると、全ての乗組員が艇長の指揮のもと冷静に対処し、12人は持ち場で亡くなり、あとの2人は故障した箇所を修理しながら亡くなっていました。

 

そして、艇長の佐久間のポケットから一冊の手帳が出てきました。

 

その手帳には、事故が起きてから絶命するまでの、2時間40分間の艇内の様子や、

 

 

沈没の原因や経緯、手を尽くした手段などが冷静に書かれており、その記録はのちの潜水艦の発達に大きく貢献する事となりました。

 

 

この事は、世界の海軍の知ることとなり、自分の仕事を最期まで全うした乗組員に対し、世界中から弔意が寄せられることとなりました。

 

もし、マスターがこのような状況におかれたら、果たして冷静でいられるか分かりません。たぶん、ストレスで、

 

赤いタオルを首に巻き、

「元気ですかー!」とアントニオ猪木さんのモノマネをするか、

 

ギターを持ち、谷村新司さんのモノマネをして「ありがっとう!」を連発し、周りの乗組員たちを、さらにストレスの渦に巻き込んでしまうかもしれません。

 

なので、マスターは潜水艦には乗れませんので、艇長申し訳ありません。ていちょうにお断り致します。

 

佐久間艇長 遺書