昔、マスターが日本料理店で修行していた時、お世話になった先輩がいました。

 

その先輩はマスターより15才くらい年上でしたが、お店が定休日の夜には、よく一緒にディスコに踊りに行く仲でした。

 

その先輩は踊りながら、

 

「ボクは若い頃はお立ち台でよく踊ったもんだよ」といつもおっしゃっていました。

 

そんなある日、「なぁ、このあいだ病院に行ったら、先生に注意されたよ」

 

と言われるので、

 

僕が、「先生は何とおっしゃってたんですか?」とお聞きしたら、

 

「いやー、今と同じ暮らしをしてたら、半年後に病気で倒れると言われたよ」と言われ、

 

「人不足だから、店を辞められそうも無いしなー」と言った後、

 

「でも、ディスコで踊りながら倒れて死んだら本望だよ」と冗談ぽく言われました。

 

僕は「病気を治さなきゃダメですよ」と言いましたが、

 

僕たちは毎日、朝8:30から深夜1:00まで16時間も働き続け、食事は質素なご飯が1日2回だけ、入社して3ヶ月で12キロ痩せた現状を考えると、

 

「たぶん店は先輩を休ませてくれるはずないな」と悲痛な思いになりました。

 

すると、ディスコが盛り上がってきたので、その会話は忘れてしまいました。

 

それから半年が過ぎたある日、

 

何とその先輩は厨房で仕事をしている時に、脳梗塞で倒れ、救急車で運ばれてしまったのです。

 

その時、僕は心の中で「自分もこの店にずっといたら、先輩のように倒れてしまう」と正直、怖くなりました。

 

しかしマスターは結局は辞めることが出来ず、その結果、10年間もこのお店で働くことになります。

 

その後マスターは毎日の仕事が忙しく、その先輩とは疎遠になってしまいました。

 

それから30年後、その先輩が亡くなられたと人づてに聞きました。

 

その後、しばらくして、1通のハガキがマスターあてに届きました。それは先輩の息子さんからの手紙でした。

 

そこには、

 

「この度、在オーストラリア日本大使館の公邸料理人として赴任することになりました」との内容でした。

 

マスターはとても嬉しかったです。先輩が生きていらっしゃったら、ものすごく自慢なさったと思います。

 

息子さんは、お父さんのような立派な料理人にお成りになったのです。

 

大使館の料理人は、その料理を通じて日本の伝統や文化を伝え、日本の国益のために海外のVIPをおもてなしする、とても重要なお仕事であります。

 

あの先輩の背中を見て育った息子さんなら、必ずこの大役を務めて頂けると思っています。

 

今日も最後までつたないブログを読んで頂き、誠に有難うございました。

 

公邸料理人