先日、50年前にペリリュー島へお父さんの遺骨収集に行かれた、80代の年配女性にお会いしてきました。

 

遺骨収集のお話や、当時のお写真を拝見する機会を得ました。

 

この会見にあたり、ご尽力頂いた誠道公民館の職員の皆様に、心より感謝を申し上げます。

 

お話の中で印象的だったのは、子供の頃にお父さんの戦死が受け入れられず、

 

母親に「ねえ、お父さんは海軍だから、きっと何処かの島で生きてるはずだよ」

 

「ねえお母さん、お父さんが待ってるよー。早くお父さんを迎えに行こうよー」と言って母親を困らせたとおっしゃっていた事でした。

 

やがて大人になった時に、お父さんへの想いが遺骨収集に向かわせたのかもしれません。

 

ペリリュー島は大平洋戦争の激戦地で、パラオ共和国にあります。

 

遺骨収集団のおかげで、今まで延べ7800柱のご遺骨を日本へ持ち帰ることが出来ましたが、指揮官の中川大佐をはじめ、今なお多くのご遺骨が島に置き去りになったままです。

 

お話の最後に、

「今、ウクライナでは私と同じように、戦死してお父さんのいない子供たちが、毎日のように出来ています。早く戦争が終わる事を願っております」とおっしゃっていました。

 

是非、境港市の小学校でも、この方を招いてお話をして頂き、家族みんながふつうに過ごせる事がどれだけ有難いか、平和学習に活かして欲しいと思いました。

 

戦争は残された家族も悲惨な目に遭うという事を、子供たちに知って頂きたいのであります。

 

ちなみに、2015年4月に上皇陛下ご夫妻がペリリュー島へ慰霊の訪問をなさいました。

 

その時に陛下の宿泊施設として使われたのが、海上保安庁の巡視船「あきつしま」でした。

「あきつしま」という名前は古代に使われた「日本」の呼び名です。上皇陛下は「日本」という名の船で、未だに日本に帰れない兵士の魂を、ご一緒に日本に連れて帰ろうとなさったのかもしれません。

 

日本海新聞の記事