沖縄県民なら知っている ハワイの豚のお話
沖縄は太平洋戦争で壊滅的な被害を受け、生き残った沖縄県民は食べるものも無く、荒れ果てた田畑を少しずつ開墾し飢えを凌いでいました。
そんな惨状を、沖縄移民の子であり、アメリカ2世部隊の兵隊として、ハワイから沖縄戦に従軍していた比嘉太郎は、ハワイに還り沖縄移民の仲間に、沖縄の悲惨さを報告しました。
「島には人影がなく、豚小屋の豚は全滅」
その報告はハワイの沖縄移民、ウチナーンチュの心を揺さぶりました。
豚は沖縄にとって貴重な食糧になると共に、その糞尿は畑の肥やしになり、畑が肥えて作物もたくさん育ち、野菜が食卓に帰ってきます。
沖縄県民なら誰でも、沖縄にとって「豚」は無くではならないものだと知っているからです。
「今こそ、故郷の沖縄を助けよう!」
沖縄移民たちは、自分たちも貧しい暮らしをしている中、ふるさとの沖縄を救いたい一心で募金を集め、550頭の豚を買い、
1948年8月31日、7人の移民がオーウェン号に乗り込み、550頭の豚と共に沖縄へと出港しました。
太平洋戦争が終わったばかりの海はたくさんの機雷があり、触れただけで爆発、沈没してしまいます。
途中、暴風雨に遭いながらも、危険な航海を28日間続け、やっとの思いで9月28日に沖縄にたどり着いたのでした。
沖縄に届けられた550頭の豚は広く公平に分配され、生き残っていた豚と合わせ、4年後には10万頭近くに増えました。
そして沖縄の養豚業を復活させ、食糧を増やし、田畑を肥やす事に貢献しました。
今もこうして沖縄の豚肉の食文化が継承し発展したのは、この時のハワイからの豚のおかげであります。
私たちもハワイに移民なさった日本人のみなさんを誇りに思い、海外にいらっしゃる日本人が困っていたら、私たちも日本から助けたいと思います。
今日もブログを読んで頂き、ありがとうございました。