沖縄産業の礎を築いた公務員 儀間真常(1577〜1644)
今日はみなさんが知らない沖縄の偉人についてお話しさせて頂きます。
沖縄県は以前、琉球王国が450年続いておりました。
その琉球王国時代、日本がまだ戦国時代の頃、琉球に「儀間真常 ぎましんじょう」という下級役人がいました。
1596年、真常が39才の時、仕事で明(みん 現在の中国)に派遣された時、現地で作物の生産増加の技術や発育状況を見て、琉球との違いに衝撃を受けました。
そして真常は、琉球でも農業や産業振興の必要性を痛感し、上司の野口総管が明より持ち帰った「蕃薯 はんしょ (さつまいも)」を地元に持ち帰り、苦心して栽培に成功しました。
それは「挿芽法」という方法で、現在でも広く使われている方法であります。
その他にも、薩摩から持ち帰った綿の種子を栽培する事に成功し、綿花栽培を奨励して「琉球がすり」を産業化しました。
そして、サトウキビの生産を増加させ、明より精糖技術を学び、黒糖産業を全土に広げることにより、琉球王国に莫大な利益を産み出すことになりました。
このように儀間真常のおかげで、サツマイモは琉球から鹿児島に渡り、日本全国に広がることになりました。
江戸時代には享保、天明、天保の大飢饉がありましたが、サツマイモを栽培していた地域では、餓死者は出なかったと言われています。結果的に儀間真常は沢山の日本人の命を救ったのであります。