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New 因伯の塔 (因幡と伯耆の一文字ずつ取って因伯です)

因伯の塔

 

鳥取県の平井知事は沖縄本土復帰50周年の式典に、全国知事会長として参列なさる公務に合わせ、

 

沖縄県糸満市にある鳥取県出身の戦没者慰霊碑「因伯の塔 いんぱくのとう」を訪れて献花なさいました。

 

「因伯の塔」は、沖縄戦で亡くなられた鳥取県出身者539人の方と、南方で亡くなられた鳥取県出身者13365人の皆様が祀られた慰霊碑であります。

 

その慰霊碑の台座には、生きて鳥取県の土を踏むことが出来なかった戦没者の皆様に、

 

少しでも生まれ育った鳥取を感じて頂こうという想いを込め、鳥取県内各地より集められた石が敷き詰められております。

 

マスターも4年前に沖縄でこの慰霊碑を見て、深く感動したのを覚えております。

 

そして鳥取より持参した大山の水を、

 

「皆様が飲めなかった鳥取の水です。暑い沖縄でたいへんでしたね。どうぞ飲んでください」と、

慰霊碑にかけて差し上げました。

 

日本一人口が少なく、地方交付金も少ない鳥取県。でも亡くなられたご先祖さまを大切に祀る気持ちは、どの県にも負けない立派な慰霊碑だと思います。

 

 

平井知事におかれましては、コロナで沖縄に行く事が出来ない鳥取県民の代わりに、鳥取県出身者の戦没慰霊碑に献花、参拝して頂き誠に有難うございました。

 

 

 

New 朝の通学路当番

 

信号機

昨日の朝、小学校のPTAにより割り振られた、通学路の交通安全の立番に行って参りました。

 

その役目はというと、朝の信号機の前に立ち、道行く通勤の車に態度と視線で目に見えない圧力をかけるのです。

 

出勤途中の車たちは小学生が渡る時、信号機が赤になり停車させられ、通勤に遅れるのが嫌なので、小学生が信号機に到達する前に加速して通過していきます。

 

その車たちに向かって朝から無言の圧力をかけていきます。

 

でも昨日は、近所の人と一緒に担当していたので、つい世間話が盛り上がってしまい、我が子が来た時に気が付きませんでした。

 

しかしよく考えてみると、マスターも通勤途中に信号機の前では、小学生が来ないよう願いながら加速しておりました。小学生のみなさん、すいません。以後気をつけます。

 

立場が変わると、今まで見えなかったものが見えてくるのですね。それではドライバーの皆様、歩行者優先で運転をお願い致します。

 

 

 

 

5/15 は沖縄本土復帰の50周年であります

 

今年は沖縄県が日本に復帰して50周年にあたります。沖縄県民の皆さま、沖縄県の祖国復帰50周年おめでとうございます。

 

現在、沖縄県には沢山の米軍基地があり、基地の隙間に沖縄県民が住んでいると言っても過言ではありません。

 

ある時、車で沖縄の道路を走っていると、アメリカ軍のMPの車両がサイレンを鳴らしながら赤色灯をチカチカさせ、信号無視をして走り去って行きました。昔はこんなジープに轢かれた沖縄県民もいたかもしれません。

 

それを見た時、「ああ、まだ沖縄は完全に日本になりきっていないのだなぁ」と悲しい気持ちになりました。

 

もし境港市で、アメリカ軍のジープがサイレンを鳴らしながら信号無視をして走ったら、境港市民は黙っていないと思います。

 

平成7年に日米により設置されたSACO合意が早く履行され、沖縄県に少しでも基地負担が減りますよう心よりお祈り致しております。

(資料は防衛省ホームページより。基地負担軽減SACO合意の最終目標)

SACO合意

沖縄産業の礎を築いた公務員 儀間真常(1577〜1644)

 

今日はみなさんが知らない沖縄の偉人についてお話しさせて頂きます。

 

沖縄県は以前、琉球王国が450年続いておりました。

 

その琉球王国時代、日本がまだ戦国時代の頃、琉球に「儀間真常 ぎましんじょう」という下級役人がいました。

 

1596年、真常が39才の時、仕事で明(みん 現在の中国)に派遣された時、現地で作物の生産増加の技術や発育状況を見て、琉球との違いに衝撃を受けました。

 

そして真常は、琉球でも農業や産業振興の必要性を痛感し、上司の野口総管が明より持ち帰った「蕃薯 はんしょ (さつまいも)」を地元に持ち帰り、苦心して栽培に成功しました。

 

それは「挿芽法」という方法で、現在でも広く使われている方法であります。

 

その他にも、薩摩から持ち帰った綿の種子を栽培する事に成功し、綿花栽培を奨励して「琉球がすり」を産業化しました。

 

そして、サトウキビの生産を増加させ、明より精糖技術を学び、黒糖産業を全土に広げることにより、琉球王国に莫大な利益を産み出すことになりました。

 

このように儀間真常のおかげで、サツマイモは琉球から鹿児島に渡り、日本全国に広がることになりました。

 

江戸時代には享保、天明、天保の大飢饉がありましたが、サツマイモを栽培していた地域では、餓死者は出なかったと言われています。結果的に儀間真常は沢山の日本人の命を救ったのであります。

 

 

五十肩は四十肩ではない

 

今朝起きると、何だか肩が重く、起き上がって靴下を履こうとしたら、肩に激痛が走りました。

 

初めは「また浮遊霊に取り憑かれたかな?」と思い、除霊のための塩を用意しようと思いましたが、どうやら右肩と右首の方だけに痛さが残ります。

 

 

よくわからないけど、「寝違えたかもしれない」と思い、「イチ、二、サン」と数えながら腕をぐるぐる回し、

 

 

柔軟体操をしながら腕を回していましたが、50回くらい回したところで痛くて回せなくなりました。

 

という事は、

 

たぶんそうです、50回くらいしか回せなかったということは「五十肩」に違いありません。

 

これが噂に聞いた五十肩なのであります。マスターが生まれて約半世紀。人類が二足歩行を始めてから必ずといっていいほど経験するという「ギックリ腰と五十肩」。

 

まさに人類の進化の過程を体感した瞬間でした。

 

という訳で、今日は湿布を貼って寝ることにします。

 

 

 

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