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マスターのブログ Blog 時事雑感

NHKの受信料を払っている皆さまに朗報です

未来少年コナン

 

マスターの世代は「コナン」と言えば未来少年コナンでしたが、最近では名探偵コナン君が世界的に有名でございます。

 

コナン君は鳥取県ゆかりのアニメであり、ゲゲゲの鬼太郎さん共々、今後ともよろしくお願い致します。

 

実は、マスター世代では、コナンと言えば未来少年コナンであり、なんとそのコナンがNHKで再放送されております!

 

あの宮崎駿さんが監督、シリーズ構成、キャラクターデザイン、メカニックデザインまで担当なさった不朽の名作であります。

 

声優陣も今となっては豪華な顔触れで、ラナ役の信沢三惠子さまは、水島新司作品のアニメ「野球狂の詩」において、ドリームボールを投げる水原勇気役で人気を博し、

 

小原乃梨子さまはタイムボカンシリーズのドロンジョ役、ドラえもんののび太など。永井一郎さま、吉田理保子さま、家弓家正さま、などなど、日本国民なら誰でも必ず声を聴いたことがある皆様でございます。

 

ある意味、宮崎アニメのルーツがここにあると言っても過言ではないと思いますので、是非録画をなさって、家族皆さまでご覧になってください。

 

 

千代むすび酒造さんでアマビエ商品が買えます!

千代むすび酒造のアマビエ商品

 

境港の千代むすび酒造さんでアマビエの商品が発売されています。

 

故水木しげる先生が描いたアマビエのラベルです。千代むすび酒造の純米酒アマビエを飲んで、疫病退散を祈願したいものですね。

 

詳しくは千代むすび酒造さんのオンラインストアにアクセスをお願い致します。

 

 

勉強したい人とは

 

勝安芳(かつやすよし)は西洋の良い兵書を読みたいと思い、色々探していましたが中々手に入りませんでした。

 

ある日、本屋で、ふと、オランダからの新書を見つけましたが、目が飛び出るほど高くて買えません。そこで、親戚中をまわり借金してお金を集め、喜び勇んで本屋へ買いに行くと、すでに売り切れたあとでした。

 

しかし、どうしても諦めきれず、本屋さんに買った人を教えてもらい、その人を訪ねて「その本をどうかお譲りください」と頼みこみました。

 

持ち主は「売ることも貸すことも、まかりなりませぬ」と一歩も引きません。

 

安芳はしばらく考えて「それでは、夜にあなたが寝ている間、この本をノートに写させて下さい」とお願いし、しぶしぶ許しをもらいました。

 

安芳はそれから毎晩、往復14キロの道のりを、雨の日も嵐の夜も、約束の時間に遅れることなく半年かけて、とうとう8冊の本を写し終えました。

 

その時、本の内容で意味のわからない箇所を持ち主に尋ねると、

 

「あなたは毎晩、熱心に勉強され感心しました。お恥ずかしいことに、私がこの本を持っていても宝の持ち腐れです。あなたに差し上げます」と言いました。

 

安芳は「私は写させて頂いただけで感謝しております。このような高価な本は受け取れません」と断りましたが、どうしてもと無理にすすめられ、とうとう受け取りました。

 

この安芳が後に、江戸城の無血開城を成し遂げる、勝海舟なのであります。

 

マスターはこのエピソードを聞いて、もしかしたら、他に同じ時に安芳よりも、もっと勉強し才能に恵まれた人が居たかもしれません。

 

しかしなぜ、勝安芳のほうが歴史に名を残したのか?考えだしたら夜も眠れなくなるので、とりあえず、地下鉄はどこから入ったのかを考えたいと思います。

 

ありがとうございました。

 

 

沈思黙考

海軍といえばハンモックですね

 

先日の休日、天気が良く風も心地よかったので、庭にハンモックを吊るして読書でもしようと思いセッティングしたところ、子供たちが押しかけ、押し合いへし合いした挙句、奪い取られてしまいました。

 

 

仕方なく、マスターは指をくわえながらハンモックが空く隙を見て、素早く奪い取ろうとしましたが、野生に帰った子供たちはキャーキャー言いながらぶら下がっていました。

 

 

野性に戻る子供たちを見て、人間が猿から進化した事実を深く納得したマスターでありました。

 

さあ君たち、おやつはバナナにしよう!

 

銀(しろがね)も  こがねも玉も  何せむに  勝れる宝  子にしかめやも・・・山上憶良 やまのうえのおくら

 

上杉鷹山 (うえすぎ ようざん) 後編

米沢市

 

鷹山は儒学者の細井平洲(ほそい  へいしゅう)に師事し、平洲をたいそう尊敬しておりましたので、平洲の実学をもって米沢を良くしたいと考えていました。
            平洲は「民の幸せのために藩主はある。民は藩の持ち物ではない。藩主は民の父母である」と説きました。
                江戸から平洲を米沢藩に招いた時には、1里半も迎えに出て、平洲の到着を待ちました。平洲が到着し歩き出すと、平洲の後ろを歩き、石につまずかないか注意して、決して前に出ることはありませんでした。
               殿様が城を出てお客さんを迎えに行くなど、当時の身分制度では考えられない行為であり、身分を超えた師弟愛として江戸中に知れ渡りました。
               とある田舎の田園地帯での出来事でありますが、
              ある日、老婆が稲刈りをしていると雨が降りそうになったので、稲穂が濡れる前に急いで取り込もうとしていました。そこへ2人のお侍さんが通りかかり手伝ってくれました。
                2人のお侍さんに対して、手伝いのお礼にお餅を持って行くので、どこに行けばよいか老婆が尋ねました。
  お侍さんは「業者が出入りする通用門に来てください」と言うので、後日、言われた通り通用門に餅を持って行きました。
すると、そこで待っていたのは藩主である上杉鷹山その人でありました。
               老婆は手伝ってくれたのが殿様だと知り、腰を抜かして驚きました。
鷹山は老婆が働き者である事に感謝し、銀5枚を褒美に渡し、餅を受け取りました。
             お侍さん、百姓、町人が一生懸命に働き米沢藩の財政が良くなってくると、人々の心に余裕ができ「人を信じウソをつかない」気風が広がっていきました。
その米沢の気風が有名になった一つに「棒くいの商い」というものがあります。
               米沢では道の端に棒くいが何本も立ててあり、くいの先からヒモで吊るしたカゴがあり、その中には、おにぎり、わらじ、野菜などが入れてあります。商品を買った人はお金をカゴの中に入れておくのです。現在でも田舎に行くとポツンとある無人市場の原形であります。
             格言・・・受け継ぎて   国のつかさの身となれば   忘るまじきは  民の父母

 

 

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