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マスターのブログ Blog 時事雑感

伊能忠敬 後編

伊能忠敬 日本地図

 

 

師弟

伊能忠敬(いのう ただたか)の先生である高橋至時(たかはし よしとき)は幕府の天文方でした。
                                                      至時40歳の時、オランダの新しい暦法の書物を得て、わずか半年の間に研究、著述しました。
しかし、もとから病身であった至時は、この昼夜を分かたずの激しい勉強のために、たいそう健康を損じて、翌年41歳の生涯を閉じました。
                                                      至時は伊能忠敬の根気の良いのに感心し、特に力を入れて教え、また後には、北海道その他の測量を忠敬にさせるよう幕府にとりなしました。
                                                      至時は新しい知識を得ると、すぐに忠敬に伝え、忠敬はそれを実地に応用して、師弟一体になって日本の学問のために力を尽くしました。
                                                       至時が死んだ時、忠敬は非常に力を落としました。しかし、先生の教えを虚しくしてはならぬと思い、自らを奮い立たせ、とうとう日本全国測量の大事業を成し遂げました。
                                                    忠敬は74歳で亡くなりましたが、死ね時に「自分にこれだけのことが出来たのは、高橋先生のおかげであるから、自分が死んだら、先生の側に葬ってほしい」と家族に言い残しました。
                                                         今でも浅草の源空寺には、この師弟の墓が並んで立っています。

伊能忠敬 前編

  1. 伊能忠敬

 

 

伊能忠敬(いのう ただたか)は上総(今の千葉県中部)に生まれ、18歳の時、酒や醤油を造る伊能家を継ぎました。しかしその頃、伊能家は衰退していました。
そこで忠敬は、どうかして元のように栄えさせようと、一生懸命に家業に励み、自分が先頭に立って倹約したので、家も次第に繁盛して、40歳になる頃には、前よりも豊かになりました。
                                                         関東に2度も飢饉があった時は、お金やお米をたくさん出して、困っている人びとを助けました。また、公職について村のために尽くしました。
                                                     50歳になると家業を長男に譲り、もともと好きだった天文、暦法の勉強を深めるため江戸に出ました。
                                                      江戸では高橋至時(たかはし よしとき)という天文学者のもとを訪ね、その精密な西洋暦法の話を聞いて感動し、自分よりも19歳も年下の至時の弟子になりました。
そして数年間倦まず弛まず勉強したので、同門中で及ぶものがないほど学問が上達しました。
                                                       56歳の時、幕府の許しを受けて、北海道の東南海岸を実地に測量し、地図を作って差し出しました。
                                                 その後、幕府の命で諸方の海陸を測量することになり、寒暑をいとわず遠方まで出かけ、とうとう72歳で日本全国の測量を済ませました。
                それから後も、忠敬は身体の自由がきかなくなるまで、大中小、三種の日本地図を作ることに努めました。江戸時代に我が国の正しい位置や形が初めて明らかになったのは、忠敬の手柄であります。
格言    精神一到  何事か成らざらん
                                      ※高橋至時・・・明和元年(1764)〜享和四年(1804)寛政の改暦などを行った。

お持ち帰り弁当が復活致しました

中止していた持ち帰り弁当を復活させました。武漢ウィルスの影響で多くの飲食店が持ち帰り弁当の販売を致しております。素直に当店もそれに倣うことに致しました。

 

お値段や内容は今までと同じです。さかな工房の夜の単品メニューも持ち帰り頂けますので、合わせてのご注文をお待ち致しております。

 

(680円  8%税込  弁当一覧)
若鶏の唐揚げ弁当、ハンバーグ弁当、サバの塩焼き弁当、海老フライとチキンカツのタルタルソース弁当、天丼弁当、トンカツ弁当、照り焼きチキン弁当
今後ともよろしくお願い致します。

ぶらマスター

ピザ

 

先日、タモリさんのぶらタモリを真似して松江市の和多見町をブラブラ歩いていました。すると、外見上は何の変哲もない一軒のピザ屋さんを発見。通り過ぎようとしましたが、胃袋レーダーの警報音が鳴ったので、南町奉行所の同心としての責任感から、このお店でピザを食べることにしました。
お店の名前は「UWOZA  うおざ」さんであります。店内の雰囲気は、ザ・イタリア!という感じで、まるでイタリアの小さなお店に来ているような錯覚をしてしまいます。(イタリアに行ったことはないのですが)
店の奥にはピザ生地をこねる台と、マキが燃えている大きなピザ窯があり、ここでピザ以外のものを頼んだら、店長にしばかれる気がします。
メニューを開いてみると、イタリア語ではなくカタカナ表記でした。(ホッε-(´∀`; ))
以前、海外旅行した時にレストランでオランダ語のメニューが読めず、適当に注文したら脂ギタギタの煮豆とチャーハンみたいなものが出てきて、メタボまっしぐらだと思った事を思い出しました。
今回注文したのは定番の「マルガリータ」と、日独伊三国軍事同盟にちなんで「ビスマルク」というピザを注文。
食べてみるとピザがめちゃくちゃ美味しい!思わず人差し指で穴があくくらいホッペをグリグリ、ブオーノのサイン。イタリア万歳!思わずビールとワインで乾杯。
ぶらタモリが吉田類の酒場放浪紀に変わってしまいました。
松江市に居ながら本場の味が堪能できる「UWOZA  うおざ」さん最高でした。10年前から営業なさっていたなんて知りませんでした。
ああ、しまった!今日も2キロ太ってしまった。

松江市 沖縄酒家 島球にて

三線ライブ

 

先日、松江市にある沖縄酒家「島球」さんにて三線部の発表会ライブに行ってきました。

 

マスターは三線部の幽霊部員なので中々参加出来なかったのですが、今回初めて参加して楽しんできました。写真は監視カメラが偶然捉えた貴重な映像です。

 

三線(さんしん)とは沖縄の楽器で、弦が3本あり胴体にニシキヘビの皮が巻いてある三味線のような楽器です。

 

曲は「ユイユイゆいまーる」と「三線の花」「赤田首里殿内」の三曲を披露させて頂き、唄者は「外江地区をきれいにする会」の会長にして頂きました。会長には素晴らしい歌声を披露して頂き感謝致しております。

 

参加者の皆さんはとても上手で、CDデビューしても良いくらいのレベルで、めちゃくちゃ盛り上がりました。

 

お約束の曲「オジー自慢のオリオンビール」では、皆さんグラス片手に「あっり乾杯!」を絶叫しボルテージは最高潮に。気分はもう沖縄在住の境港市民です(どっちやねん!)

 

心良く受け入れて下さった沖縄酒家「島球」のスタッフの皆様、参加者の皆さんには本当に感謝致しております。その節はお世話になりありがとうございました。

 

皆様も是非、沖縄酒家「島球」さんで沖縄料理をお召し上がり下さいませ。沖縄気分に浸れますので、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

 

 

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