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マスターのブログ Blog(2021年1月)

公益のため稼げる村を作った「古橋源六郎」

 

古橋源六郎は愛知県三河の稲橋村の人で、江戸時代後期から明治初期にかけて、農村振興をはかった農村指導者であります。

 

ある時、源六郎は三河の土地が馬を飼うのに適していることを知り、奥羽産や外国産の良い馬を数十頭購入し、それらを掛け合わせ、馬の改良をはかりました。

 

当時、馬は運搬や移動、田畑の耕作手段でしたので、農作業の効率を上げ生産性を高めるためには、農耕馬の普及は必要不可欠でした。

 

ところが人びとの中には「改良馬は大きいばかりで、女や子どもが使うのに困る。ノロいばかりで役に立たない」など、悪口を言いふらす者が現れました。

 

そこで源六郎は馬のショールームを開き、改良馬が大きくて力強く働くうえに、おとなしくて使いやすいことを世間のみんなに知ってもらいました。すると次第に悪口を言うものがいなくなりました。

 

 

その後、仲間を増やし組合を作って改良馬を広めることに努力しました。しかし、景気や相場が悪く大損してしまいました。

 

源六郎は「今は景気が悪くてダメでも、良い馬を育てていれば、景気が良くなったら必ずお客様が来てくれる。その日までみんなで頑張ろう」と昼夜苦心して働いたので、とうとう利益を出すことができるようになりました。

 

愛知県に良い馬をたくさん産み出すことができたのは源六郎の力であります。

 

その他にも、源六郎は稲橋村の人たちに養蚕を勧めて、村に桑の木を植え、カイコを飼い、繭の売上げ額が村全体で年間8〜9万円(現在の金額で約17億円)になるまでに成長しました。

 

また、源六郎は身銭を切って山にたくさんの木を植えました。やがてそれは立派な森林となり、林業が村に雇用と利益を産み出すようになりました。

 

源六郎は農業全般の改良、改善をはかるため日本で初めて村に「農会」という組織を作り、農業の発展に力を尽くしました。

 

そしてこれは良い会だ、ということで全国に広まり、明治14年4月5日に全国規模の農会が設立されました。

 

現在では農会の仕事はJA農協に引き継がれ、農会の組織も「公益社団法人日本大農会」となり、今年2021年で創立140年目となる、日本で最も古い歴史を持つ団体となっております。

 

この源六郎の話は、住民が力を合わせれば地域全体で大きな富を築けることを教えてくれます。そして自治体がお金を稼ぐことは民業圧迫ではなく、まわり回って住民へ利益が還元されることを知ることができます。

 

ケネディ大統領の有名な言葉「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何が出来るか問うて欲しい」この言葉をかみしめたいと思います。

 

飲食店も武漢コロナで大変な時代となりましたが、次の世代にどうやって耐えしのいだか伝えられるよう、頑張っていきたいと思います。

本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

雪合戦

 

家族そろって雪合戦

ダン池田とニューブリードさんたちの演奏は無いですが、家族そろって雪合戦をしようという事になり、先日の大雪の時に庭で雪合戦をしました。

 

庭を半分ずつの陣地にし、相手陣地に立てたオモチャのスコップを雪を投げて倒した方が勝ちというルールです。

 

チームを作る時にジャンケンをしたら、なぜか家内と子供たち合わせて3人のチーム対マスター1人という、家族の力関係を表すかのようなチーム割りとなりました。

 

そんな事にはメゲず、

 

「いやー、雪合戦をするのは関ヶ原のかっせん以来だわー」と寒い冗談を言い、周囲の気温を2度下げ自分の陣地に向うと、歩く後ろから雪が飛んできました。

 

あれ?と思い後ろを振り返って見ると、家内の目が真剣になっている。

 

やばい、今まで数々の受験戦争を切り抜けてきた家内の闘争本能に火を付けてしまった。ヤバイぞ、彼女はやる気だ!このままだとやられてしまう!

 

とっさに、近くにあった段ボール箱を分解し、機動隊の盾のように身体を隠してしゃがみこみ、すかさず防御。

 

「ははは!君たちはラピュタ王の前にいるのだぞ。そんな雪の玉なぞ何でもないわ」と雪の玉を避けていたら、5才の娘が体重をかけてスコップで突いてきて、それを避けきれず転倒。雪の中へ背中から転んでしまいました。

 

芋虫のように雪の中をうごめいているところへ集中砲火を浴び、ついにマスターは降参しました。

 

家内に「目が本気だったよ」と言うと、「子供たちに勝負の厳しさを教えるため、敢えて容赦なく攻撃した」との有難いお言葉。ううっ(涙)王蟲が心をひらいたのじゃ。

 

子供たちよ、もし父さんが3日後に全身が痛いと言ったら、それは雪合戦のせいである。50才を過ぎて雪合戦に徴兵された父の身になるのだぞ。

 

我が家ではこんな感じでしたが、一方でこの度の大雪により被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げます。

 

境港でも大雪の影響で市民生活に支障がでました。今年は雪が多く、まだまだ寒い日が続きますので、皆様におかれましても御自愛なさってください。

 

本日も最後までお読み頂きありがとうございました。

 

5代目 伊藤小左衛門

 

伊藤小左衛門は4人兄弟の長男で伊勢(三重県)の人でありました。

 

小左衛門は江戸時代に室山村で味噌や醤油の製造販売をしていました。兄弟が力を合わせて仕事に励みましたので、室山の味噌や醤油は地元で評判になりました。

 

ある年、伊勢で大地震があり、屋敷や蔵はほとんど倒壊し、不幸にも追い討ちをかけるように長雨が続いて、仕込んでいた味噌や醤油が腐ってしまいました。

 

世間の人たちは口々に「いかに室山の味噌屋といえども、もう潰れるしかないだろう」と陰口をたたきました。

 

小左衛門は三人の弟に「今から兄弟4人で力と心を合わせ、あきらめずに頑張ろう。3年後にはきっと元の商いにしてみせよう」と、お互い手を握り合い、固く決意しました。

 

それから兄弟は仕事を手分けして、一人は潰れた蔵を片付け、別の一人は味噌や醤油の仕込みを始め、そしてもう一人は蔵の再建のために遠方へ木材の買い付けに行きました。材木商に頼むより自分たちで買った方が安く済むからです。

そして小左衛門は三人の弟たちに指示したりお金を工面したり、全体の計画を立てていきました。

 

このようにして4人の兄弟は上下の境なく、昼夜分かたず働いたので、3年も経たないうちに前よりも立派な蔵ができ、商いも元の通り繁盛するようになりました。

 

このたびの大地震が教訓となり、小左衛門は製茶や製糸業も始めることにしました。4兄弟はいつも互いに助け、力を貸し合って仕事に励んだので、家はますます繁盛しました。

 

伊藤小左衛門は幕末から明治初期にかけて三重県四日市地域に近代産業の種をまき、四日市工業地帯のいしずえを築いたのでした。

 

この伊藤小左衛門の話は、武漢コロナ禍にあえぐ我々日本人にとって学べることが多々あります。1つ挙げるとすれば困った時こそ家族や仲間が協力して困難を乗り越えていく姿勢です。人は1人では何も出来ません。そして今、何を成すべきか考え、出来ることをコツコツと積み上げていく努力が大切なのではないでしょうか。

 

これで小左衛門の話は終わりになります。

本日も、長くつたないブログを最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

 

皆様におかれましても、今年一年が良き年となりますよう、心よりお祈り致しております。

 

 

新年明けましておめでとうございます

 

新年明けましておめでとうございます。昨年はたくさんの皆様に御愛顧いただき誠に有難うございました。本年もよろしくお願い申し上げます。

新年は5日より営業致しますが、未だ人手が足りないため、夜の営業をお休みする日がございますので、近日中にお知らせ致します。

引き続きご迷惑をおかけすることをお詫び申し上げます。

 

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