公益のため稼げる村を作った「古橋源六郎」
古橋源六郎は愛知県三河の稲橋村の人で、江戸時代後期から明治初期にかけて、農村振興をはかった農村指導者であります。
ある時、源六郎は三河の土地が馬を飼うのに適していることを知り、奥羽産や外国産の良い馬を数十頭購入し、それらを掛け合わせ、馬の改良をはかりました。
当時、馬は運搬や移動、田畑の耕作手段でしたので、農作業の効率を上げ生産性を高めるためには、農耕馬の普及は必要不可欠でした。
ところが人びとの中には「改良馬は大きいばかりで、女や子どもが使うのに困る。ノロいばかりで役に立たない」など、悪口を言いふらす者が現れました。
そこで源六郎は馬のショールームを開き、改良馬が大きくて力強く働くうえに、おとなしくて使いやすいことを世間のみんなに知ってもらいました。すると次第に悪口を言うものがいなくなりました。
その後、仲間を増やし組合を作って改良馬を広めることに努力しました。しかし、景気や相場が悪く大損してしまいました。
源六郎は「今は景気が悪くてダメでも、良い馬を育てていれば、景気が良くなったら必ずお客様が来てくれる。その日までみんなで頑張ろう」と昼夜苦心して働いたので、とうとう利益を出すことができるようになりました。
愛知県に良い馬をたくさん産み出すことができたのは源六郎の力であります。
その他にも、源六郎は稲橋村の人たちに養蚕を勧めて、村に桑の木を植え、カイコを飼い、繭の売上げ額が村全体で年間8〜9万円(現在の金額で約17億円)になるまでに成長しました。
また、源六郎は身銭を切って山にたくさんの木を植えました。やがてそれは立派な森林となり、林業が村に雇用と利益を産み出すようになりました。
源六郎は農業全般の改良、改善をはかるため日本で初めて村に「農会」という組織を作り、農業の発展に力を尽くしました。
そしてこれは良い会だ、ということで全国に広まり、明治14年4月5日に全国規模の農会が設立されました。
現在では農会の仕事はJA農協に引き継がれ、農会の組織も「公益社団法人日本大農会」となり、今年2021年で創立140年目となる、日本で最も古い歴史を持つ団体となっております。
この源六郎の話は、住民が力を合わせれば地域全体で大きな富を築けることを教えてくれます。そして自治体がお金を稼ぐことは民業圧迫ではなく、まわり回って住民へ利益が還元されることを知ることができます。
ケネディ大統領の有名な言葉「国があなたに何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何が出来るか問うて欲しい」この言葉をかみしめたいと思います。
飲食店も武漢コロナで大変な時代となりましたが、次の世代にどうやって耐えしのいだか伝えられるよう、頑張っていきたいと思います。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。